私がピアノをやめるまで(2)~自己肯定感は育まれなかった~

こんにちは、りみです。

前回、私が幼少期に始めたピアノレッスンのきっかけについてお伝えしました。

小学生になったころにあれあれ?と色々と気が付き始めます。そして自尊心は傷ついてしまったのです。

目次

実力の差も認めていく時期

実力の違いが明らかに(努力も含む)

先生からの扱いも明らかに違ってきました。先生がかける言葉ひとつ取っても幼馴染の子に接し方というか・・・。小学生の私はその違いを感じ取っていて、何だか寂しいな・・・と漠然と思っていました。

今思うと、先生が選り好みして彼女だけ特別扱いした、というのではなく、コンクールなどに出ていたと思うので別の楽譜やレッスンなどを受けていたのかなと思います。

そこまでは、感じ取れてなかった・・・

私でも発表会は特別なワクワクがある

小学生になると、実力の差は誰が見てもはっきりと違っていたけれど、それはそれと割り切っている自分がいました。私のモチベーションは発表会でドレスを着るということだったので、発表会に向けて頑張ることで、少し成長する、というスタンスが続いていました。

発表会は毎年行われ、3か月ほど前に弾く曲を先生と相談して決めていきます。その作業はとてもワクワクするものでした。私の場合、先生がこんなのどう?とおすすめしてくださる曲で「聞いたことある」曲に限定していたのですが、へなちょこな私でも「この曲が舞台で弾けたら嬉しいなぁ。今度はちゃんと練習しよう!(いつも思う)」と、ドレス何にしよう、と思うのと同じぐらい心に誓うのでした。

発表会にワクワクしていたんです

そして、自尊心が傷ついたことが起こりました。

自尊心が傷ついた事件

友達との遊びの中で事件はおきた

ある日、その幼馴染の家で遊んでいた時のこと。

小学校3年生ぐらいだったと思います。他にも数人の友達が集まっていた時でした。その日はピアノやエレクトーン(当時、ピアノと同じぐらい流行っていた)を弾ける子たちが、順番に曲を披露していったり、みんなで歌ったりと今思えばなんと、高尚な遊びでしょう。

その時にその幼馴染の子が「まだ途中だけど・・・」と、今度の発表で弾く曲の触りを弾いてくれました。

それがあまりにも難しい曲で(題名は忘れてしまいましたが)一同がどよめく!!私もすごー---い!!と感嘆の声をあげました。

こんな曲を弾くなんて!!やっぱりすごすぎる~。

発表会でも私たち普通組は、プログラム前半に組まれ、彼女は子供の部でも難しい曲を弾くお姉さんに交じって、後の方の出番でした。私とは違い過ぎるし、そもそも同じ土俵ではないとの認識だったので、嬉しい気持ちで聴いていました。

事件はそのあとに起こります

自分の発表会の曲を披露してくれた幼馴染が、「そういば、りみちゃんの曲ってこんな感じじゃなかったっけ?」と悪気もなく、弾き始めたんです。

私が何か月も練習した発表会の曲を、まだ仕上がってもないその曲をその子は楽譜も見ずに、さらっと、サクっと弾いてしまったんです

え?ショック・・・

当然、ショックですよ。もう、頭がふわふわしちゃって、心ここにあらず・・という状態になりましたよ。次弾くの私だし、もうなになになに??というクエスチョン。何してくれちゃってるのさ、と幼い私は思わず、ただただショック。

「すごいねぇ!」と他の子の言葉に紛れて、

す、すごいねぇ

と多分ひきつった笑顔で言ったあと、彼女よりも下手に自分の課題曲を弾きながらわざとおちゃらけていた私でしたが、だけどだけど・・・子供ながらにひどく傷ついたのをはっきり覚えています

ぐすん

私は練習しても全然うまくならない

ピアノが苦痛になってくる

私ってピアノの才能がないなって、練習してもうまくならないなって思うわけです。あの子みたいになれない。何時間かけても、あんなにうまく弾けないし、仕上がった発表会の曲だってあの子がさらっと弾いた音色にはかなわない・・・。

ピアノがつらい・・

自己肯定感なんて、下がりっぱなしでした。そもそも・・・そんなに練習したくない、つまんない。もはやピアノに対してモチベーションも下がり、嫌で嫌で仕方がなく思うようになりました。

まぁ、もともとドレス目的でしたから・・

そんなに嫌になったピアノだったんですが、何故かやめるという選択肢はなくピアノは続けるものだと思い込んでいたんです。

なんでだろう・・・

毎週来るピアノ教室の時間を苦痛に感じていたのに、習い続けていました。そんな私のやる気のなさを感じてか、先生はレッスンのとき、宿題が少しでも出来ていないと大きなため息をついたり声を荒げたりとにかく怖かった!

拷問です・・・(大げさ)

毎日、毎日練習する時間も苦痛でした。それでも、言えなかったんです。ピアノやめたいって。なんでだろう。決して両親が強制しているわけでもないのに(ここ重要)

勇気をだしてやめたいと言った日

それから、数年(よく続けたな)、途中で優しい先生に変わってからはレッスンが苦痛になるということはなく、それなりに自分のペースで続けていっていました。

しかし、区切りでもある発表会が終わった時、母にピアノを辞めたいと勇気をもって話しました。やはり、モチベーションを上げることが出来なかったみたいで、そのころは学校の課外活動や地域のバスケットボールチームにも入ったりしていたので、毎日のピアノの練習が本当に嫌だったんだなと思います(練習しているふりで乗り切っていたこともあるし)

ピアノが全く弾けない母は「そうかぁ、残念だな。りみちゃんとっても上手なのに・・」と言っていましたが、私の申し出をあっさりと受け入れてくれました。

その時の清々しさといったら!!今でもはっきりと覚えています。

自由を手に入れたー!

何年も経った後、母が「そんなに嫌だったの。気がついてあげれなくてごめんね」と言っていましたが、私が言えなかっただけなんです。両親には感謝しているんです。お父さんのお給料日に袋分けをして私のピアノのお月謝を先に抜き出しておいてくれたことずっとずっと私のピアノを褒めてくれたことに感謝しています。期待に応えられなくてごめんね。という思いです。

そうか!言い出せなかったのは、期待に応えなきゃと思っていたからなのか・・・(いや、それならもう少し真剣に練習してたかな)

ピアノ続けるといいことあるという神話だけを信じていてはだめですね。良いこともあるんですけど負担が大きい。

その後の幼馴染と私

さて、その才能あふれる幼馴染ですが、後に海外の有名なピアニストの弟子になり、国際的に活躍しているというのを聞きました。

やっぱりすごかった…

幼いころ、彼女と一緒にピアノを習っていなければ、もちろんこんな思いになることはなかったと思います。では私は不運だったのでしょうか。

いやいや、そんなはずないです

子育てでよく言われていること「他の子と比較はしちゃいけない」と、どんな本にも書いてあります。私の両親も、りみの弾くピアノが好きだなぁ、上手ね、と言ってくれたように、彼女と比較をしたことは一度もありません。

ただ、確実に自分自身でまわりと比較をします。何をするにしてもその分野で才能あふれる子というのはいるもので、これは紛れもない事実だと思うのです。だからってその他大勢が卑屈になることではないし、あきらめることでもないし、そんなことしていたら何もできないですよね。

だからこそ、親はほかの子と比較をせずに自分の子供の成長にのみ焦点をあてて、そこを褒めてあげればいいということなんだと思います。

なのに、私は彼女にはかなわないとやる気がなくなってしまいました。苦しくなってしまいました。弱い怠けものだったのかもしれませんが、多分・・・そこまでやりたいと思えてなかった、はまらなかったというだけだった可能性大です。

きっかけ、ドレスだもんね・・・

才能ある子を認めて、自分は努力で上がれるところまで上がってみせる!というやる気があれば、それは大きな成長だし、学びだと思います。そうできていたら同じような仕上がりだとしても「ピアノ弾けます!」と私も堂々と特技の欄に書いていたことでしょう。

まとめの話(わが子もピアノが苦手だった)

ピアノとの向き合い方

子供時代にするといい習い事のトップを走り続けるピアノ。きっと科学的にも証明されていることは事実なんでしょう。ただゴールもないまま、とりあえずピアノを習わせて・・という人も多いと聞きます。そしてやめ時が分からず、ピアノをするといいことがあるという神話の呪縛から逃れられずにいる方も多いのではないでしょうか(うちだけか?)

実は、わが子もピアノで苦労したクチです。そこから私自身の過去に目を向けたのがきっかけなんですが、ようやくわが子もこの呪縛から解き放してあげることができました。

そうすれば、本人のよきタイミングで、きっともっと楽しい音楽に出会えるんじゃないかなと思ったからです。

娘は、今は合唱隊に入り歌の練習をしています。発声、朝練、腹筋などそのための努力を毎日していることから、才能あふれる天才ではなくても自分の努力の成果とその経験を誇りに思って成長していっているなと実感しています

今後が楽しみです

私も、最近になって「この曲弾きたいな」とピアノに向かうことがあります。それはそれはとっても楽しくて、そして弾きたいと思うから努力をする。音楽って本来そういうものじゃないかなって、ようやく遅ればせながら思いなおすことができました。

皆さんはどうでしょう。

では、また。

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