【小学生のいじめ!】小学4年生で翌日からいきなりクラスで無視された話②

前回に引き続き、いじめの実体験のお話しです。AIでは教えてくれない生身の実体験と感情の動きと学びをお伝え出来たらいいなと思っています。

今、いじめで悩んでいる方や、関係者の目に留まりますように。

目次

「いじめられている」という自分

これを、認めるのが一番つらかったです。昨日まで笑い合っていた仲間に無視されているという現実を認めることが出来なかった。

でも、実際は挨拶してもその笑顔は凍り付いたまま、行き場がない状態でそのままうつむくしかない。休み時間には予定があるふりをして、教室から出ていくか、トイレにこもる。

5分休みも辛かったけど、20分休みやお昼休みは地獄でした。

認めたくないけど、誰とも目が合わない日常。

認めたくないけど、誰とも会話のない1日が終わる。

この状況を私はどうして過ごしていたんだろう・・・

次々と思い出します。胸のあたりがギュッとなる。

母には言えなかった

つらくて苦しい日々でしたが、毎日学校に通う。

家族にはどうしても言えなかったんです。特に母です。

母には知られたくない。そんな思いでした。

普段から明るく家族を笑わせたり、兄弟げんかしたりとどちらかというと活発な娘が、学校でいじめられている、なんて、とても言えませんでした。

お母さんを悲しませてしまう。それは絶対嫌だ。

そう思っていました。

いつも、優しく明るく私の100%の味方であるお母さんに、申し訳ない・・ってそう思っていました。

誰にでも優しく、人の悪口を言っている姿を見たことがなかった。

そんな母に、いじめられている娘がいることが申し訳なく思ってしまったんです。

と、もう一つ大きなものがあります。

それは、プライドでした。

母の大事な娘である私が、家族にとって大切な娘が、妹が、こんなことで負けたくない・・・という。心の底にしっかりと根付いているプライドでした。

これを、自己肯定感と呼ぶのでしょうか。

私は、この状況でも家族に知られないように、家では極力明るく過ごし、毎日学校に通い、休み時間を過ごし、不登校にななることは無かったです。

というか、学校を休む・・という選択肢を考えたこともなかったのかもしれません。学校を休むのは高熱の時だけだと思っていたから。

現在のように「休んでいいんだよ、逃げていいんだよ」という対処法がなかったので、思い浮かばなかったんだと思います。

どうだろう、今だったら休んだかな。

孤独な教室でプライドだけで自分と戦う

そう、私にはプライドがあったようです。自己肯定感が高かったんだと、今になって振り返ると思います。そして、これはその時には分かっていません。

数日は孤独な、うつむいた日々を過ごしましたが、ある瞬間、「悔しい」と思ったんです。

もちろん、孤独には変わりないんですが心を入れ替えました。

「私がいじめられてるなんて、認めない。私はB子をかばっただけなのに」

A子のいるグループには近づかずに、いつも穏やかに話す子に「おはよう」と目を見て言い続けたんです。今思うと大したもんだと思いますが、無視される時間が続くと、逆に怖いものがなくなるというか。それからプライでですね。

穏やかなグループの子たちは、困ったようにボスA子を意識しながら無視したり、小さい声で「おはよう」とつぶやき程度に返してくることもありました。

20分休みは、相変わらず用事があるふりをして、学校内を歩き回ったりして過ごしました。

昼休みはクラスのほとんどが校庭でドッヂボールをしていたんです。時々、先生も混じったりして男女一緒にキャーキャーいいながら雨の日以外、毎日。

私は、その時何をしたか。

実はそのドッヂボールに入って行ったんです。誰も目を合わせない中、「入れてー」と、優しそうな子に目を合わせて声をかけ、返事を待たずに輪の中に入りました。

記憶違いかもしれませんが、もしかすると先生が、教室に残っている私にも「ほら、いくぞ」と言ったかもしれません。私の中で「今、行かなきゃ!」という思いと勇気が湧いたきがします。

どちらにしても勇気を奮い立たせ、プライドだけで「入れてー」と、コートの中に入りました。男女交じってのドッヂボールだったので、男子がいたのも救いでした。

それでも、机の中に悪口を書かれたノートが入っているのを見て、落ち込みます。

自然と涙が出て、そのノートに涙のシミが出来ました。

泣くな、私。と歯を食いしばる。

だって悔しいじゃない。

学校以外はどうしていたか

私は、習い事をしていました。

ピアノや、地域のスポーツチームに所属していました。そして、団地育ちの私には、実は近所の学年違いのお友達がいました。母の交友関係も広く、その子供たちとも仲良くなっていました。

ご近所さんが、ある意味たくさんいたんですね。

習い事や、ご近所のお友達に、何も知られていないことが、救いでした。

いつも通りの私で居られる。

同じ学校に通っていても、学年が違えば全く分からないし、クラスが違うだけでも全然別世界だったりします。私は、その中で本当の意味で楽しめて、ゆっくりと呼吸をし、生きていた気がします。その時間があったから、また学校で自分との闘いに挑めたのかもしれません。

次のブログでは、そこから解決に向けて・・・一気に動きます

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