こんにちは。 小学4年生でのいじめ体験、そして先生やクラスを巻き込んだ解決劇から、数十年。
※この記事は連載の最終回です。 いじめっ子が謝罪し、クラスの空気が変わった「解決編」である【その④】をまだ読んでいない方は、先にこちらからお読みください。最初から読む方は①からお願いします。


今日は、この長い話の本当の「結末」をお話しします。
あれは、40歳を過ぎてから開かれた同窓会のことでした。
数十年後の再会
会場に行くと、当時の主犯格だったA子も来ていました。 どうやら私が参加することを知って、彼女も来ることにしたようです。
久しぶりに見る彼女。 やはりどきどきしている自分がいます。会場ではお互いに意識してしまって……結局、一言も話せませんでした。
でも、中学時代に一度謝ってもらって、私の中ではもう「過去のこと」として整理がついていたんです。 だから本当は話したかった。だから帰宅後、私の方からカラッとしたメッセージを送ってみました。
「話せなかったけど、元気だった?」
拍子抜けするくらい、普通の言葉で。
彼女からの熱い返信
すると、彼女からすぐに返信が来ました。 それは想像以上に熱のこもった、必死さが伝わるような文面でした。
「メールありがとう!ありがとう!本当に嬉しかった。 りみちゃんが相変わらず明るくて幸せそうで、本当に嬉しかった!
お母さんにも報告したら、お母さんも喜んでいたよ。 あの時は本当にごめんなさい。情けない自分でした。 りみちゃんがいつも明るくて幸せそうで……羨ましかったんだと思う」
(そんなような内容)

いじめた側が背負い続ける「十字架」
そのメールを読んで、ふと思いました。
ああ、彼女はずっと反省して、ずっと気になっていたんだな、って。
40歳を過ぎた大人が、わざわざ母親に報告して喜ぶなんて。 それほどまでに、彼女とお母さんにとって、私への罪悪感は長い間消えない「重荷」だったんだなって。
彼女は中学時代、みんなの憧れの的で、とても素敵な女子でした。 40代になった今も独身の彼女は、やはり素敵な女性になっていました。
そんな彼女が、私への贖罪を背負ったまま生きてきたと思ったら、なんだか急に「かわいそう」に思えてきてしまって……。 私は素直に、こう返信しました。
「前も謝ってくれてたよね。当時は本当につらかったけど、その時にもう気持ちの整理がついていたよ。でも何度も謝ってくれてありがとう。今は大丈夫だよ。また今度どこかで会えたら嬉しいな」
(そんなような内容)
私が彼女を許せた「本当の理由」
ここで、きれいごと抜きのお話をします。 私がなぜ、彼女の幸せを祈れるほど穏やかな気持ちになれたのか。
それはきっと、 「あの時、彼女がちゃんと制裁を受けたから」 だと思うんです。
「制裁」があったからこそ
4年生のあの日、先生がクラス全員の前で「くだらないことはやめろ」と一喝してくれたこと。 彼女たちが惨めな思いをし、クラスでの立場が悪くなるという「社会的制裁」を受けたこと。
そして、私が卒業まで決して彼女と馴れ合わず、毅然としていたこと。そして、思い切り他のクラスで楽しんだこと。
その事実があるから、今の私がある。
もしあの時、うやむやに終わって…… 彼女が謝りもせず、人気者のまま幸せな結婚をして、インスタグラムで子供に「お友達をいじめちゃダメよ♡」なんて言っているのを目にしてしまったら・・・。
私は、一生許せなかったと思います。
よく「一番の復讐は、自分が幸せになること」と言いますが、本音を言えば「相手には罪を反省し、不幸になってほしい」と思ってしまうのが人の常です。 それくらいの地獄を、いじめられた側は味わうのですから。
わが子がいじめられていたら

今、これを読んでいるお母さんへ。
もし、あなたの大切なお子さんが「いじめられているかも?」と思ったら、まずは学校に確認するなど、事実確認のために動いてください。 子供の勘違いや、時には嘘をついている可能性もゼロではないからです。いきなり怒鳴り込むのは、確かにモンスターかもしれません。
でも、いじめの事実がはっきりしたら。 子供が勇気を出して訴えてきたり、証拠が見つかったりしたら。
どうか、遠慮せずに大騒ぎしてください。
「子供同士のことだから」とか 「親が出ていくとモンスターペアレントって思われないかな」とか。 そんな風に物分かりのいい親になる必要なんて、1ミリもありません。
「モンスター」と「守る親」は絶対に違う
ここを勘違いしないでほしいんです。
- 我が子のわがままや理不尽な要求を通そうとするのが、モンスター。
- 我が子の心身を守るために戦うのは、親の当然の役目。
決して一緒にしてはいけないと思うんです。
私はたまたま「悔しい!」というプライドや自己肯定感があって、ギリギリで自分を保てました。 でも、すべての子が強いわけじゃありません。 言いたくても言えない子、心が優しすぎて戦えない子もたくさんいます。私自身の子供もそうです。
だからこそ、子供が言えない分、親が気づいて、まもるべき行動をしてあげてください。
私の母は、私が泣きながら告白した瞬間、何も言わずに私を抱きしめ、その足ですぐに学校へ向かってくれました。 あの時の母の行動力、そして先生の素早い対応が、私を地獄から救い出してくれたんです。
問題を大きくしてください。公の場に引っ張り出してください。
それは、わが子を守るためであり、同時に相手の子への慈悲でもあるのです。
子供のうちに「人を傷つけたら、必ず自分に返ってくる」と教えられ、反省する機会がなければ、被害者の恨みは消えません。 最近では、大人になってから過去のいじめをSNSで告発されたり、動画で晒されたりすることも珍しくありません。
そんな「一生消えないデジタルタトゥー」による復讐を将来受けさせないためにも、子供のうちに大人が介入して、きちんと終わらせてあげる必要があるのです。
「ひとりで悩む時間」も、決して無駄じゃない
それから、もうひとつ。 これは私の実体験から感じることですが。
いじめられて、ひとりで悩んでいる時間。 それも、ある程度は「結果的に大事な時間」だったなと思うんです。
渦中にいる子供は、もちろん苦しい。 でも、誰も助けてくれない孤独の中にいるからこそ、 「どうやってこの場をやり過ごそうか?」 「どう振る舞えば惨めじゃないか?」 と、必死に頭を使って、自分なりの解決策や処世術を学ぶこともあるんです。
私の場合、その時間に「なにくそ!」という自己肯定感が発動しました。 悔しさがバネになって、無視されているのにドッヂボールの輪に入っていく勇気が出たり、涙をこらえて歯を食いしばったり。
そういう経験が、後々の「強い心」を作ってくれるんです。
だからお母さん。 もし「もっと早く気づいてあげればよかった」と自分を責めているなら、その必要はありません。 お子さんがひとりで戦っていたその時間は、決して無駄じゃなかった。 その時、お子さんの心は確実に強く、たくましく育っていたはずですから。
今後書いていきたいこと
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いじめの解決には、大人の介入が不可欠です。 でも、解決した後も、子供の人生は続いていきます。
今後は、私が子供時代にいじめを乗り越える支えとなり、今まさに我が子にも伝えている「ある考え方」についても書いていこうと思います。
それは、 「私の人生の物語において、いじめっ子のあなたはただの『脇役』でしかない」 というマインドセットです。
これが腑に落ちると、人間関係の悩みが驚くほど軽くなります。 よかったら、またブログを覗きに来てくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いじめの解決には、大人の介入が不可欠です。 でも、解決した後も、子供の人生は続いていきます。
そこで次回は、私が子供時代にいじめを乗り越える支えとなり、今まさに我が子にも伝えている「ある考え方」についてお話ししようと思います。
それは、 「私の人生の物語において、いじめっ子のあなたはただの『脇役』でしかない」 というマインドセットです。
これが腑に落ちると、人間関係の悩みが驚くほど軽くなります。 ぜひ、次回の更新も読みに来てくださいね。
